2010年10月18日月曜日

個人史―私の失敗談(その6、全てを失い新たな旅路へ)

私の個人史は一時、中断したのですが、それは最近のことを記すことで多くの人に迷惑がかかると思ったからです。しかし最も身近なことを話せば、正真正銘、私はもののみごとに「相続」した不動産、私が自力で立てた家屋もすべて手放しました。「相続」は私の父のみならず、義父の残してくれたものを含めてです。私は文字通り、子供に残せる資産は膨大な借金以外は何もなくなりました。

学生の時から「在日」に目覚め生意気だった私は、差別社会との闘いを宣言し本名で生きることや、日立闘争、地域活動と具体的な実践に邁進したのですが、それは新しい動きであると同時に、周辺の人たちからの激しい反発を受けることになりました。在日韓国教会青年会と川崎の青丘社からは責任ある地位からリコールによって放逐されました。

お前の行く末を見てやろうと、肉憎々しく言われたことは数多くあります。成功するはずはないという彼らの予言はものの見事に的中したのですが、しかし文字通り無一文になった私がそのことによって、自意識としては生まれて初めての開放感を味わい、新たな一歩を歩み出すことに喜びと意欲をもつことになったことに感謝の気持ちを持とうとは予言できなかったようです。

全てを失い何もないということがこんなに開放的で、自由を与えてくれるものなのか、私はあらためてこの間思索してきたことを根底から捉えなおしたいと思っています。「杖一つの他は何ももたず」(マルコ6章8節)、私はこれは古代のことだと思っていました。聖書の奇跡物語は実際に起こったことでなく、原始キリスト教団の信仰告白が反映されたものと理解していたのです。今だに記憶に残っている、森有正のアブラハムの無からの旅立ちについての話を大学の礼拝堂で聞いたときも、何千年前の神話としか理解できませんでした。しかし今、それらのことは私にリアリティをもったものとして迫ってきます。

このように書くと読者は私がファンダメンタルな信仰者になったのかと思われるかもしれません。奇跡物語を聖書は日常を超えた神秘的な神業のように記していますが、奇跡を人間のあらゆる努力を超えすべてをあきらめたところから、思いもよらぬ、自分の人間としての可能性が途絶えたところから起こった出来事ととらえると、私は全てを失ったときにまさにこのことを経験しました。事業の失敗から残されていた不動産全てが競売にかかり、それが全く知らない第三者によって落札されたのですから、私たちはその落札の日から6カ月以内に家をでるしかすべはなかったのです。私はそのことを予想し、家族全員に心の準備とその覚悟を求めてきたのですから。

私はありがたいことに家族の誰からも私の失敗について批難されることありませんでした。義母も妻も、義弟家族も淡々とこの事態、私の失敗の結末を受けとめてくれていました。私は家族の想いと彼らの配慮に感謝するしか言葉がありません。そのうえ多くの人にかけた迷惑を考えるとこれは当然のことであろうと思います。

競落が決まったその足で、私は落札をした不動産業者に会いに行きました。彼らはビジネスとして落札した物件を立て売り住宅か新たなマンションの建設をするのが常識です。私は無謀にも、その会社社長に面談を求め、私のこの間の失敗の連続を見守ってくれた義母が亡き夫が残してくれた場所で死ぬことを願っていると考え、彼女が住めるようにしてくれることを訴えました。数回にわたる話し合いで、その若き社長は、最終的に私の願いを聞き入れてくれました。今は家賃でそのまま私たちは義母と共に住ませてもらっています。

彼女が亡くなるまでそのまま住んでいいという条件まで承諾してくれました。これは私にとってはまさに奇跡でした。自分のやってきたことの全ての結末であると同時に、私は自分の手を超えたところから恩恵を受けたと思うしかありません。

振り返ると、私は自分の実家と妻の実家の両方に責任を持とうとしたことになります。大阪ナンバの一等地のビルは、父の三度目の妻から彼の病床で離婚による1億円を超える慰謝料を求められ、その金策をするために銀行に担保にいれました。しかしそれは同時に、私が継いだ岳父の会社の事業(前に記したぬいぐるみの仕事)を支える担保でもあったのです。いろんな事業をしながらなんとか借金から脱却したいという思いが、今から考えると私の潜在的な重荷になっていたのでしょう。無理な投資を重ねたのも金銭問題を一挙に解決しようとしたことで、冷静な理性を失っていたのだと思います。

今はもうこれまで苦しんできた資金繰りに悩むことはありません。私が求めてきた日韓のビジネスは「一粒の麦」になってくることを願うだけです。「在日」の問題については、年内発行予定の「人権の実現―「在日」の立場から」『人権論の最定位 全5巻』(法律文化社)、「「民族差別」とは何かー対話と協働を求めて」『季刊 ピープルズ・プラン』11月号にまとめ、これから自分の進むべき方向についてのグランドデザインを描きました。

私は古代のアブラハムのようにこれからの余生を新たな地を求めて生きることになります。ただ私にとって幸いだったのは、私を理解し、支えてくれた妻と一緒にその旅路に出ることができるということでしょう。これまでやってきたことで無駄なことは何もなかったと思い、これからの新たな人生を歩めることに胸を膨らませる今日、この頃です。それに今朝、新たな喜びが与えられました。俳優を志す次男に二番目の子が生まれたと知らせがありました。

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